眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

プロレスと八百長とダチョウ倶楽部

プロレスが好きだ、というとよく聞かれる。

「プロレスって八百長でしょ?」

昔に比べるとずいぶん減ったとはいえ、この手の質問はなかなか答えに困る。

 

こんなシンプルな質問になんで困るのか。はいかいいえで済むじゃないか、という人もいるだろう。でも、プロレスファンの乙女心はそう簡単じゃない。なんというか、それを認めた瞬間にプロレスがプロレスでなくなる感覚があるからだ。

 

アマゾンプライムの人気番組「有田と週刊プロレスと」では、

「じゃあそれでいいよはいはい」

と強がるのが最適解と言っていた(面白いのでぜひ見てほしい)。もちろんそうやって流す手もあると思うけど、僕は違う角度から反論したい。

 

 

 

まずは八百長の定義をおさらいしよう。

 

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八百長とは、相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負をすること。
Wikipediaより)
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これを見て、ほらやっぱり!と思った人もいるかもしれない。でも、僕なんかはこれを見て、ますます八百長じゃないな、と思う。

 

まず相撲とは違い、プロレスは勝敗が評価対象じゃない。たとえばつい先日引退された長州力さんがどこかのTV番組に出演したとして、「通算◯勝」「◯連勝の記録保持者」なんて部分に焦点は当たらないだろう。

 

プロレスは勝敗の結果より、予定調和を期待されたショーだ。

ファンは長州さんの試合で、リキラリアット→サソリ固めという美しい流れが見たい。その雄姿をより輝かせるため、長州さんが勝った方がより良いというだけだ。

 

駆け出しのレスラーとやれば99%長州さんが勝つだろう。ただ、たとえ1%の方を引いて若手が勝ったとしても、その若手が素晴らしいパフォーマンスを見せて、魅力的な試合であれば、とんでもない瞬間に立ち会った!とファンは喜び、語り継ぐ。

 

八百長という言葉は「予定調和=悪」とした言葉だけれど、プロレスでは善になる。

本質的にまったく違うのだ。

 

とはいえファンの多くは、ドラマや映画のように、台本があることを当たり前のように認めているわけではない。心のどこかでは理解していても、それを認めたら世界観に入りこめないし、魅力が半減してしまう。もっというと、台本の存在を疑うくらいのとんでもないハプニングを、いまさら期待しているふしもある。

‥‥だいぶ分かりづらくなってきたので、ダチョウ倶楽部に置き換えてみよう。

 

 

竜ちゃんが誰かに喧嘩を仕掛ける。

当然、見ている側はキスを期待する。

そして、相手によってその後の展開はまったく違うものになる。

 

①相手が出川さん、芸人

→十中八九キスをする

②相手がジャニーズ、男性俳優

→どっちだ!?とハラハラする。結果、キスしたりしなかったり

③相手が女性 

→ほぼ失敗に終わり、リーダーあたりが「できるか!」とツッコむ。ごくたまに成功したり(野呂パターン)、マスク越しのキスでかわされたり(ざわちんパターン)、女性のほうから不意打ちを食らわされたりする(RIOパターン)

 

別に、展開はどれでもいいわけだ。

それよりも抑えるべきなのは、このクダリを楽しむときに、前もって結果が決まってるんだろうなーと考えながら見るのはあまりにも野暮だということ。ダチョウさんの芸を見るときは、「いまのゆで卵はガチで熱かったんじゃないか!?」とこっちから寄っていくくらいのほうが正しい態度といえる。


決まりごとを超越するほどのライブ感、グルーヴ感。

それがプロレスの魅力だからこそ、台本だなんだと的外れなことを言うやつにはローリングソバットからのタイガースープレックスをお見舞いしてやりたくなってしまう。

 

 

ということで、図らずもプロレスはダチョウ倶楽部だという結論になってしまった。

それに対する弁解は、また違う機会に。

 

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不意打ちキスを食らって立ち上がれない竜ちゃん