眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

ギャルと毒ガス

禁煙に成功して数年経った。

ふと、自分は何本タバコを吸ったのだろうと考える。

 

最初に吸ったのがだいたい20歳。少ないときでも1日1箱は吸っていたから、20本×365日×10年でざっと73,000本(!)ということになる。

あらためて振り返ると途方もない数字だ。あのイチローや羽生が「物事は続けられることこそが才能」と言うくらいだから、きっと僕にはタバコの才能があったのだろう。

 

当然、禁煙にはかなりの苦痛を伴った。

つい出来心でタバコを吸ってしまう夢を見て、全身汗だくで飛び起きることもあったくらい。僕にとって、20代のすべてを共に過ごしたタバコは、それなりに思い入れのあるアイテムといえる。

 

それなのに、最後の1本をどこで吸ったのかはまったく覚えていない。もっといえば、72,990本以上はほとんど印象にない。情景、味、くわえた感触。すべてをはっきりと思い出せるのはほんの数本だ。

中でも思い出深いのは、やっぱり最初の1本。

 

 

 

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僕がタバコを吸い始めたのは、カナという女の子がきっかけだった。

自動車教習所の仮免教習中の後部座席というトリッキーな状況で知り合い、嫌味な教習指導員の悪口を言い合って仲良くなった。

 

彼女は当時全盛期だった浜崎あゆみを真似たような服装をしていて、寝起きの浜崎あゆみみたいな顔をしていた。要するにギャルである。向こうのほうが1つ年上ということもあって、初対面から信じられないくらいフランクだった。

 

「本名はカナコだけど、あんまり好きじゃないからカナって呼んでね」
会って早々、そんなお願いをされた。

世の中には許されるワガママと悪いワガママがあって、ギャルのワガママはたいてい許される。他人の心の扉なんて、渋谷駅の改札くらいに思っているのかもしれない。

 

カナは庶民派のギャルだった。高校を卒業してすぐ地元のスーパーに就職。近所の安売り情報はだいたい頭に入っているし、バッグには常にソフトさきイカを忍ばせていた。ラメラメのバッグから海産物が出てくるのはなかなかの趣がある。

 

彼女は教習の休憩時間になると、喫煙所で老若男女と談笑しながらマイルドセブンを吸った。白い煙の中でたたずむその姿は、まるでライブ中の浜崎あゆみのようだ。

僕は当時まだタバコを吸っていなかったけれど、喫煙所にその姿を見かけると立ち寄って、話をするようになった。同世代ということもあって自然と教習の日程を合わせるようになり、一緒にご飯を食べにいく仲になる。

 

その何度か目にカナが言った。
「女だけじゃ変でしょ? キミも吸いなよ」
自分の口にくわえて、火をつけたばかりのタバコを僕に差し出す。

教習所ならともかく、普通の飲食店で自分だけパカパカと煙を吐き出しているのはさすがに気まずかったらしい。

 

男子校出身の僕は一瞬、

「か、間接…!!!」

と怯んだものの、平静を装って一口吸ってみることにした。タバコの才能があるだけあって、マンガみたいにむせることはなかったし、もちろんイカの味もしなかった。

 

なんかいいな。言葉にするならそんな感じの味。

「ああ、僕はこれからタバコを吸っていくんだろう」

というシンプルな予感があった。

 

 

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と、記念すべき1本目のタバコはこんな景色。ほんの10数年前の話だけれど、今考えてみると、自分も世の中もだいぶ変わったものだ。僕は他人に流されることを恐れなかったし、世の中はまだ、タバコを毒ガス扱いしていなかった(内心そう感じていたとしても)。

 

もちろん、タバコを礼賛しようとは思わない。せっかく禁煙できたんだし、もう2度と吸うこともないと思う。

それでも、吸っていてよかったなと思うことは結構ある。

 

僕はあまり冒険しない性格だから、放っておくと自分の心地いいコミュニティだけを選んで生きてしまうふしがある。その点、タバコという悪いものに手を出していた時期は、クセのある人に出会う機会が多かった。

キャバ嬢、バンドマン、バーテンダー雀荘に住み込んでるおっさん。オーストラリアの荒野で、アボリジニに「1本くれよ」と頼まれたこともあった。タバコの煙の中でなら、いけすかないベンチャー社長ともなぜか気軽に話せてしまうから不思議だ。

 

まあこんなことは、運良く健康でいられたから言えることなんだろうけど。何事も、悪いことばかりじゃないってこと。


カナとは踏み込んだ関係にはならなかった。僕も若かったし、身近な女性にはロッテの角中くらいストライクゾーンを広げて対応していたのに、彼女に対してだけはなぜか、あらたまって口説く気になれなかった。

だから「免許とったら海に行こう」と、なんとなく約束をした。

それなら単にデートの約束というだけでなく目標になるし、いい記念になる。もしかしたら水着姿だって見られるかも。我ながらいい様子見のラインだ。

 

ただ結局のところ、それも叶わなかった。免許を取る寸前、最終の筆記試験でカナが落ちてしまったからだ。僕は合格ラインぎりぎりの90点で受かったのだけれど、彼女は1点足らず、89点。たった1点の差で免許を取るタイミングがずれて、なんとなくの約束は、なんとなく何処かへ漂流してしまった。

 

試験室の電光掲示板に点数が発表された瞬間、僕の目の前に座っていた彼女の肩がガクーンと落ちるさまがよく分かった。
夏の日、よく焼けた肌、派手なピンクのキャミソール。
あんなに小さなギャルの背中は、あれから2度と見ていない。