眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

『道京』-6. スウィートセブンティーン

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6. スウィートセブンティーン/1997年4月~1998年10月

1997年4月。知り合って半年が経ち、僕は高校2年生に、文さんは3年生に進級した。関係は特に変わらない。恋愛感情のようなものも芽生えなかった。彼女が遠い都心の学校で誰かと付き合ったり、別れたりしても、西東京で閉鎖的男子校生活を送る僕にはドラマの話でしかない。

たまに文章を書いて、と頼まれればはりきって、何も言われない時期が手持ちぶさたになった。そういう意味では、彼氏がいない方が嬉しかったかもしれないけど。

暇さえあれば文字を書いて、安物のテレキャスターを弾く生活が続いた。とはいえ、その先に夢があったわけではない。ギターを地べたまでおろして構えたり、思春期の少年が、好きな子のために思い切りかっこつけたような顔をしたり。そういうタイプの人間には一生なれない気がしていた。

たまには窓を開けっぱなしにしてギターを抱いて朝まで眠った。おかげで弦は錆び放題。声質はますます枯れていく。

 

 

一方、文さんにとっては高校最後の夏。彼女はモラトリアムなど微塵も欲しがらず、外海を社会と呼ぶこともなく、ただまっすぐに大人になろうとしていた。

 

「ギター弾きながら、歌えるようになったの?すごいねえ」
井の頭公園フリーマーケットで、ビー玉とスーパーボールがごちゃまぜに入った水槽に手を入れたまま彼女が言った。1回300円、片手のつかみ取り。大小ごちゃ混ぜに入っているから、意外と多くは取れないみたいだ。結果は7個。続けて僕もやって13個。

ジュディマリなんて、難しくて当分弾けないですよ。昨日なんてそばかすのイントロやってるだけで、手がつっちゃって」
僕は弦にこすれて固くなった左手の指先を彼女に自慢しようとしたが、水に入れていたので残念ながらふにゃふにゃだった。

「そういえば前の彼がギターをやってたな。全然知らない洋楽ばっかりだったし、聴いてて全然楽しくなかったけど」
ふたりで取ったスーパーボール20個を、惑星みたいに地面に並べながら彼女は言う。僕は昨日今日ギター始めたのだから当然なのに、なんだか悔しい。

「洋楽か…僕もわからないな」
あれから実は少しだけストーンズを聴いてみたのだけれど、それはさすがに口には出さなかった。ほかに知っているのはジミヘンくらい。どっちもたぶん、女子高生は興味がないだろう。

「すごく変な人だったんだよ。普段はおとなしいのに、やたらと激しい曲ばかりやってて。ライブだといっつも声が飛ぶほど叫んでたな。ほら、顔にペイントするバンドが載ってる雑誌あるでしょ? あんな音楽」
僕は聞きかじったような雑誌名をいくつか挙げてみたが、彼女はどれもピンと来ないようだった。
「それにね、スラングっていうのかな。エッチな英語ばっかり覚えて、私に言わせようとしてくるんだよ。どう思う?」
そんな告白には、ただただ苦笑いするしかなかった。

 

僕たちはスーパーボールをしまったあと、フリマ内の別の店で灰皿を買った。正方形で、火種を落とす場所が4つの部屋に区切られているやつ。素材はよく分からないけれど、淡い青緑色で、ソーダ水を気泡ごと固めたような半透明のテクスチャだった。

すぐに使い道があったわけではなかった。よさそうな材料を手に入れたら、それを入れる器も買っておくのが流儀だと彼女は言った。

「犬を飼うなら犬小屋が要るのと同じ?」
僕は冗談のつもりで尋ねたのだけれど、なぜかものすごく不機嫌にさせてしまった。そういえば彼女が犬嫌いだと初めて知ったのも、この時が始めてだったっけ。

灰皿は結構重かったので、僕の家に保管しておくことになった。

 

作品になったのは秋だった。
といっても、人為的に作ったわけじゃない。灰皿はベランダに出しておいたのだけれど、すっかり忘れてしまっていたのだ。激しい雨降りの翌日、作品は偶然にできていた。青い葉とビー玉とソーダ色と。

いかにも好みそうな自然の産物について彼女に電話で報告すると、「週末君の家に行くから、そのままにしておいて」と返事があった。そのあと一方的に電話は切られた…と思ったらまたかかってきて、「詩を書いといて」と指示があった。で、さらにメールがあって、「君の住所を教えて」と書かれていた。
僕はその日のうちに頭をひねり、詩と自分の住所を返信した。

 

2日後の土曜日、文さんはカメラ持参で僕の家にやってきた。もちろん初めてのことだったが、彼女はどこにでもある中流家庭の一軒家には、まったく興味がないようだった。視線をやったのは、軒先に植えられた名もなき花たちだけだ。

形が崩れないよう、あらかじめ倉庫に移しておいた作品を取りに裏庭へ。玄関右手から内塀に沿って、ぐるっと家をまわる。玄関先のほうは定期的に庭屋が手入れしてくれていたが、裏では雑草が伸び放題になっていた。2人して飛んだり、かがんだり、半身になったり。目的の倉庫の周りには、まだいくつか水たまりが残っていた。

時刻は夕暮れ。文さんは、僕が2日前に書いたばかりの「ポップ」という詩を、トレーシングペーパーに印刷してもってきていた。それを静かに水面に浮かべる。言葉の裏側に、ビー玉色の雨水がたゆたう。

 

***

「ポップ」

無色透明なスーパーボール
跳ね飛ぶ炭酸水は無性に無数
床に落とし跳ねる法則のすき間
ひねくれて少し余計にホップ

割られたほうは甘めの調合材料
糸を引く水玉模様の炭酸飲料
薄い金属を曲げる反発音みたいに
うねりながら注がれる発泡酒

喉ぼとけで水を砕いたような音
浮き上がる果実の甘味
飴に例えればあまりにもポップ
塩酸みたいにねじって溶かして

色かたち姿かたちが艶やかで
濡らす唇のあとが薄く残る
グラスの中は水玉の限りないポップ
力を抜くほど甘くなる炭酸飲料

***


いろいろと書いた中でも、僕はそうでもないのに、文さんがやたら好きな作品の代表的なのがコレ。にやにや笑いながら、何枚も、何枚も作品を写真に収めていた。

 

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来た方とは反対側から玄関へ戻ろうとしたとき、ふと文さんの足が止まった。風でカーテンが飽き、家の中が見えてしまっている。しまった。と、僕が制するよりも先に彼女は声を発した。

「こんにちは、お邪魔しています」
網戸ごしに母の姿が見えた。車いすに乗ったまま、こちらに驚いた顔を向ける。裏庭側から人がのぞくなんて思っても見なかっただろうし、家に女の子が来たのは初めてだったから無理もない。挨拶を受けて数秒後、母は何かを思い出したように、こわばったままの表情で会釈をした。

「庭にあるお花、きれいですね。全部お母さんが選んだんですか?」
文さんは物怖じせず母に問いかける。
「いや母さんは、」
そう言いかける僕をまた遮って、彼女は一歩前に出る。僕の声色で全てを察したようだが、それを微塵も表すことはない。間を埋めるように、母にもうひとつ言葉をかける。

「私の家はマンションだから、こういうの夢なんです」
母は嬉しそうに笑って、本来利き手ではない左手をあげた。

 

第一印象とは大事なもので、その日から、母はことある毎に文さんを気にかけるようになった。ホワイトボードに震える文字を書いて、あれこれと質問してくるのだ。若いころから裁縫を学び、一時は婦人服をデザインする仕事に就いていた母のことだ。息子と同世代の少女にひときわ特別な思いを抱いただろう。

文さんは文さんで、僕のことを常々「弟のようだ」と言っていた。聞けば、子供のころから男兄弟が欲しいと思っていたらしい。なんだかよく分からないところで、僕を中心に家族像みたいなものができあがっていく。僕は文さんのことを家族なんて目線で見たことは、今も昔も1度もないというのに。

 

あっという間に年は年をとり、1998年1月、文さんの就職が正式に決まった。
写真でも、絵でも、いくつかの賞を取っていたから、てっきり美大や専門学校へ行くと思っていたのに。進路はなぜか、こじんまりとした立川の雑貨屋だった。憧れのアーティストから誘ってもらった、というのがその理由。もちろん、普通の人は誰も知らない名前だ。

そして僕は高校3年生になり、文さんはただの18歳になった。

情けないことに、大学受験の目的なんてなにひとつなかった。ギターでも創作でも好きにしたらいいが、せめて自分の力が及ぶ限りの大学は出ておけ。それが、放任主義で通した両親の唯一の命令だったというだけ。義理として勉強を始めてみたわけだけれど、まあ、はかどるわけもなく。

学校帰りに立川駅へ寄って、モスバーガーで自習するのがお決まりのルート。幸か不幸か隣には楽器屋があったから、自然とメンバー募集の貼り紙を見るようになった。まもなくミッシェル・ガン・エレファントコピーバンドを組み、煙草を覚えた。

せっかく文さんが近づいてきてくれたというのに、店に顔を出すことはほとんどなかった。仕事場を邪魔するのが嫌だったし、なんといっても、彼女の師匠が怖すぎた。頬はこけて浅黒く、三国志みたいなひげを生やして、ナイフで皮を裂いたり、高速回転する機械で火花を散らしたりしているのだから。

 

僕はできればギターで参加したかったのだけれど、まだそれほどのスキルも見についていなかったし、チバユウスケと声質が近いからとボーカルをすることになった。まさかこの声で、何かを表現するなんて。迷えるコンプレックスは、ようやく居場所を見つけたようだった。

そんな風に形だけグレていく僕を、文さんはいつも変わることなく迎えてくれた。黒ずくめの格好をしても、背伸びしたロングコートを着ても、音楽の話はいつだってJUDY AND MARY

「ちゃんと勉強してるの?」と聞いたり、「煙草はダメだよ」と叱ったり。
会うたびに何かを注意し、注意されて、不思議なくらい同じようなやりとりを繰り返した。もしかしたら、そんなやりとりで止めておくことが、僕たちにとって最善の形だったのかもしれない。

 

1998年10月。遅ればせながら、僕も18歳へ。もっとロマンチックな場所が良かったのに、呼び出されたので仕方なく、文さんの働く店へ行った。

彼女は僕の姿を見つけると、自分の指に着けた無数の指輪の中から、中指にはめたひとつを外して渡してくれた。シルバークラフトを初めて半年。1番の自信作らしい。

「だいたい11号から12号くらい。君の指は細いからね。でも、もしかしたらきついかもしれないと思ったから、念のためS字をつけたデザインにしたよ」

女性から一方的に指輪をもらうのは変な感じがする。世間的にも相当珍しいだろう。あれから十数年たった合間でさえ、周りを含めてもそんな体験をした男性に出会ったことがない。

 

なぜサイズを知っているのかと聞くと、
「君の指はずっと見ているから」と彼女は言った。

 

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「雨音」

 

夢 か ら醒めて
青い  びんの 中
くぐもって 響く その 声を
人形 は
黙って 聴 いて いる
それは  ピアノの 上の
聡明な くま
ショー ウィンドウを 嫌って
や がてある 一室に
身を おいた 

 

ぽつりと 落とす 音は
誰かに ささげる しずく
飾り用の
カクテルの びんに 響いてる
時の 流れが
厚い  ガラスに ひしゃげ な がら
鍵盤の 上に
少年の 泣 き顔 をつくる

 

神 でさえ
その 嘆きは 知らない

  

聴こ えて はいても
救えな いなら 意味が ない
くま のみぞ 知る
透 明な 歌声は
自由を 求 めて
ふと迷 ってしまった しずくの音

  

その瞬 間
何 かが頬を 駆け抜けた 

 

蛇口から 砂交じ   りの声
遠く 消える 波のようだ
少女 が眺 める
少年の静 かな コンサート
それ は繰り 返す音の 波
青がか った時
知り 得なか った音
気づけ なかっ  たこと
ふっ と近づい てここに ある

  

意味な んてないよ
ただ聴い ていて 欲しい
奏 者は 少女に
根拠な く強く 訴え  る
や  が て演奏が 終わり
少 女の頬 が渇く
くまの視 線  の先には
ふたつ の大き  なシル エット

  

 かっこ つけと言わ れても
ま  だ早いと 言わ れても
同じ なんだ
求 め続け るだけ
鈍い音を伝い
濁って響 く潤い を
それ が何か と問われたら
「雨が 好きだ」 と
答えよう

  

―6月<潤い>の言葉―