眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

『道京』-7. 小さな頃から

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7.  小さな頃から/1998年10月~1999年12月

指輪をもらってから、2つの大きな変化があった。ひとつは右手の薬指を強く意識するようになったこと。当たり前すぎて申し訳ないけれど、受験勉強にギターにと常に手先を使っていたから、予想以上に存在感があったのだった。冬場は朝つけるだけでも冷たいし。クラスメイトにも冷やかされるし。

もうひとつは、文さんと音信不通になってしまったことだ。通りからチラッと覗く雑貨屋はいつも無人で、メールも一切帰ってこなくなった。もちろん出会ってから初めての事態だったけれど、社会人になって大変なこともあるんだろうと、しばらくは放っておいた。

ところが1ヶ月、2ヶ月と経ち、とうとう年を越す直前にさしかかると、さすがの僕もなんだか少し怖くなってしまって、仕方がないので彼女の職場に顔を出してみることにした。いくら店主が怖いからといって、背に腹は変えられない。

 

 

そして1998年の年の瀬、僕はついに亨さんと話すことになった。どんなことでもできそうな文さんが、「憧れの人」と呼んだ人だ。この人もまた、僕には決して手の届かない種類の男性に違いない。
普段座っているところしか見ていなかったし、細身だから気づき辛かったけれど、立ち上がった亨さんは185センチ程の長身だった。眠たそうな目、神経質そうな鷲鼻。右手上腕と左手の薬指にタトゥーが入っている。

「文ならしばらく休むって連絡があったよ」
地底から響くような重い声と見据える目。僕はとって食われないかびくびくしながら、「いつ復帰しますか?」と聞き返す。
「まずいことに最初は無断欠勤でね。まあ僕もいろいろ遠慮なく言うから、バックレるなら仕方ないというスタンスではあるんだけど‥‥そういうタイプには見えなかったから、一応ワン切りしといたんだ。で、最近やっとメールが届いたよ。復帰の話はまだしてない」
亨さんはきわめて落ち着いた口調でそう述べた。

「どうする? 俺から連絡するように言っておこうか」
 僕の胸に、浅はかな対抗心が疼いた。
「いえ、僕から連絡してみます」
「それがいいね」

店内にはいつもと違って音楽はなく、どちらかが声を発すれば、空調の音だけが響いた。僕が礼を言って踵を返すと、
「めげずにまた来てみてよ」と亨さんが言った。きわめて予想外の言葉だ。
「お邪魔じゃないですか?」と聞くと、
「君とは話をしてみたかった」と亨さんは言った。「文のポートフォリオで名前をよく見るよ。言葉で作品づくりを手伝ってるって。コピーライターかなにかになりたいの?」
僕には将来の展望などかけらもなかった。あ、とかなんとか言いながら首を横に振るのみ。
「まあいいや。とにかくまた来てよ」

店を出ると、さっそく金属音が響いていた。予想よりは機微の通じそうな人だったけれど、やっぱり根っからの職人だ。

文さんの職場復帰は翌1999年の春までずれこんで、僕が立川に行く回数もすっかり減っていた。また来てよ。そんな風に亨さんから言ってもらったというのに。しのびないけれど、まずは文さんと連絡を取らないことには先へ進めない気がした。
3月。残念ながら僕の浪人が決まる。世間ではアイドルが早稲田大学へ進学するというニュースが話題をさらっていたが、実績のないバンドマンが大学に入れるほど、日本の教育界は甘くないらしい。

4月。独り黙って19歳になった文さんから、職場復帰することになったとメールが入る。待たせたすべての期間にではなく、せっかく店に来てもらったのに不在だったことに対する謝罪だけを添えて。

再会は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。彼女は当たり前のように店先に立っていて、半年ぶりに僕と目を合わせたときも、いつもより少しだけまばたきの数が増えたくらい。
「何かあったんですか?」と聞いても、
「何もないよ」と言うだけ。
気の利いた言い訳もない。それこそが、異変のあった何よりの証拠だというのに。

だいぶ後に分かったことだけれど、文さんが後の結婚相手とつき合い始めたのはそのころだった。彼女は職業柄いつも何個かの指輪をつけているし、薬指にひとつ増えたところで気づけと言うほうが無茶だ。亨さんならまだしも。

 
もちろん、共同作品もつくる気配はない。学生でも、ニートでもない、肩書きを持たない生活は矢のように過ぎていく。変な話だけれど、この時期の僕は、あらためて人間はひとりなんだと人生を見つめ直すことになった。

他にやることがないので勉強をする。何かを学ぶことは嫌いじゃないし、元が元だっただけに偏差値は20くらい上がった。トライアドしか知らなかったギターコードの知識にもテンションやオンコードが加わる。そうして余計な知識ばかりつけて、僕は10月にまた1つ年を取った。
あと1年で大人扱いだなんて、なんだか信じられないな。

 

そして1999年12月。亨さんの店が、お台場に数日間だけ出店することになった。大きな商業施設ができたばかりで、たくさんのイベントが立て続けに行われていたのだ。僕の自宅にはショップ名義のDMが届き、出店前日には携帯電話に文さんからメールが入った。

受験勉強の追い込みシーズンとはいえ、それなりに高望みした志望校もなんとか手が届く範囲まで来ていたし、僕は気分転換を兼ねて遊びに行ってみることにした。大丈夫。このころには変なファッションも一周して、僕も世間的に浮かない格好ができるようになった。
無難なチャコールグレーのステンカラーコートを羽織って、ふらふらと都心へ向かった。



イベント当日、現地に着くころにはすでに17時を回っていた。一大商業施設を彩る真新しく人工的な夕暮れの下で、多種多様な出店が列をなす。

その日のはハンドメイドがテーマ。ビーズ、ニット、アクセサリー。いまで言う「映える」アイテムが所狭しと並べられていて、歩くたびにキラキラと輝いていた。出店数はかなりのものだったけれど、長身のひげ面を目印にすれば、目的地を探し当てることはそう難しくなかった。

亨さんに会釈すると、彼は近くのベンチに向けて無言で顎をしゃくった。そこには、休憩中に編み物をする文さんの姿があった。彼女が手にしている毛糸は色こそベージュ1色だけれど、えらく複雑な柄をしていた。

「編み物してるところなんて、はじめて見ました」
「うん。最近はじめたんだ。ここなら良さそうな毛糸が見つかると思って」
そう言われてからあらためて途中の出来ばえを眺めてみても、僕には上手い下手の判別がまったくつかない。

「始めたばかりにしては難しそうですね」
「これ? もともとの毛糸が模様になっているだけで、全然難しくないんだよ。一番簡単なやり方なの」
「シンプルなのに難しそうに見えるなんて、文さんらしいですね」
その言葉に、彼女は力が抜けたようなポーズをとった。それから思い出したように、「座って」と編み棒で隣の席を指す。軽く席をつめる拍子に、ライトグレーのチュールスカートが僕の膝を撫でていった。

「そうだ。来てくれてありがとう」
僕は首を振って、遅くなってすみません、と言った。
「ほんとだよ」彼女は肩をすくめる。

「でも、結構お客さんが来てるみたいでよかったです」
「休日になったからましになったけど、昨日までなんか、ひどかったのだよ」
よかった。彼女の語尾が文語調の時は機嫌がいい。

 
周りは見渡す限りカップルだらけ。夕飯前に駆け足で店をのぞくせいか、18時を超えたあたりから急に客足が増えた。
「忙しそうだから、またちょっとしてから来ますよ」
「あと1時間くらいで私もご飯食べられるから、どこかで時間つぶしてきてね」

僕はその言葉を聞くとすぐに外へ出て、煙草を吸った。初めて見るお台場の印象は、どこからどこまでが街なのかまったく分からないということ。当時はまだまだ開発中で、商業施設以外は工事現場だらけ。闇の中で悪の秘密基地がつくられているみたいで、なんだか殺伐としていた。
 

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別に行きたいところもないので、大きな通りに沿って歩いてみる。数百メートルほどいったところに小さめの体育館くらい撮影スタジオがあって、窓からは中の様子が見えた。
結婚式の撮影だった。できるだけおしゃれに、カジュアルに撮ろうとしているようで、新郎は山高帽をかぶっていたし、新婦のスカートは短かった。クラッカーを合図に、水と紙吹雪が降り注ぐ。

真っ暗になった湾岸地帯に、ぽつんと置かれた仮想空間から漏れる景色は幻想的だった。寒さにさえ耐えられれば、ずっと見ていられそうだ。外から見ているから、音がないのもまたいい。
僕は自動販売機で温かい缶コーヒーを買い、スタジオの周りをぐるっと散歩することにした。

新郎と新婦を取り囲むように、たくさんの子供たちがぐるぐるとまわる。クッションを投げ、リボンを散らかしながら。端の方には小さなピアノを軽く撫でる、すまし顔の女の子もいた。

撮影が休憩に入っると、ピアノを弾いていた女の子が、くまとパンダのぬいぐるみを両脇に抱えて、ひとりの男の子のもとへ走っていく。ふたりとも4歳か5歳くらいだろうか。歩くたびに丸い頭がふらふらと揺れていた。
男の子はしゃがみこんで、いきなり両耳を両手でふさいだ。それを一定のリズムで開閉させて、どうやら音の違いを楽しんでいるようだ。やっぱり室内には音楽がかかっているのだろう。
女の子は横に座り、片手でくまのぬいぐるみを押し付けながら、男の子の興味を引こうと話しかける。でも、つれない反応。その後も女の子は何度か接触を試みるものの、なかなか思うような結果は得られなかった。

あきれたようにその場を後にしようとした、その瞬間、後ろ手に持ったパンダのぬいぐるみを、男の子が素早くつかんだ。
好奇とはなんと分かりやすく残酷なんだろう。
でも、ふたりの物語はそこから始まるのだ。

似ている。僕はいつの間にか、その男の子に幼いころの自分を重ね合わせていた。



小学校2年生の初め、僕が学校から帰ると、母はリビングでうつ伏せになって倒れていた。あわてて叔母に電話をする。救急車のサイレンの音、大人の大きな声、だらんとした母の身体を運び出していったタンカ。一大事にも関わらず、残っている記憶はものすごく断片的だ。

僕は事態をはっきりと理解しないまま、血をたぎらせながら眠りについた。後から聞いた話によると、その夜、母は生存確率5パーセント未満の死線をくぐったらしい。
難病指定されている、先天的な脳の病気だった。生きられるだけでも幸運だ。だけど、すぐにはそんな風に思えなかった。左半身の感覚と言語を失ったからだ。

その日を境に、世界は変わってしまったようだった。僕は毎日、車いすの母に向かって、たくさん話しかけた。どんな響きの言葉なら伝わるか、母は何と言っているのか。五感を総動員させて、意思の疎通に集中した。
前と同じお母さんなのかな? 聞きたくない声も聞こえた。

それでも、僕は言葉を欲しがった。

 

 

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「文月」 

文月、葉月、長月、神無月
焼けつく日差しの入り口に
意味深な暦を振り付ける

水無月が霜に変わるまで
季節が変わってしまうまで


あるものは文を書き
ありったけの葉を乗せる
長い季節を待ちわびて
神はいないと絶望する 

年に一度 七夕を手にするか
常に適当 たなぼたを喰らうか
迷信も宿命も一緒くた
すべて同じだと言い張るか

意図することの大切さを 
往々にして、人は大事にしない

ただ、することと
会えて、することは


こんなにも違うっていうのに
こんなにも違うって言っているのに

 

蛇口に押し付けた喉に
誰かの悪戯で水が吹きだした
バーッと高くあがって、
霧が降って、虹が差した

ぽかんと見上げたら
奥歯に残る砂のかけら
そんな風に幾年を重ねて
いつか還る泥のおはか

細胞(つぶつぶ)の本質は水におぼれて
積まれたむくろは為替と違って
貝殻や皮肉でも、
換えのきかない真っ黒い影

葉かないな
戻かしいな

 

閉じる目にユーモアを 
もっと 影を晴らす余裕を もっと
信念が枕の裏にすべり落ちても
口を開くことにさえ、長い年月がかかりそうでも
いつか僕が粉々になったら
果糖かなんかと混ぜて
ジュースにするのは不謹慎でも
水玉模様の瓶に詰めて

潤いが欲しい、今際の際にまで望んだら
お笑いだと言われてしまうかも


だからこそ もっと
誰より もっと

 

―7月<望み>の言葉―