眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

『道京』-9. 2人のストーリー

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9. 2人のストーリー/1999年12月~2000年10月

有名人に会うと新鮮な印象を受ける。背の大きい小さい、性格がきつそうだとか。メディアも馬鹿じゃないから、映像のマジックは確かに存在する。
でも、そんな違和感を生む一番の原因は、「そこにいること」自体にあるんだと思う。入れ物の中ではなく、そこにいる。ご飯を食べて眠る、同じ人間だと頭では分かっていても、実際に会うまでそんな事実は飲み込めないものだ。

僕は文さんに「憧れ」という言葉をぶつけた。金、銀、石、革、プラスチック。さまざまな素材に囲まれた店の中で、商品ポップをデザインして、商品説明をして、レジを打つ彼女の生活。僕はそんな現実をまるで無視して、ただ理想を見ていたのだ。そして観覧車で寄り添う姿は、さらにその上を通り抜けた。

僕たちは会えば身を寄せ合う関係になって、同士でも恋人でもなくなった。

 

 

2000年春。文さんはとうとう20歳になり、僕は晴れて大学生になった。大学の最寄り駅は高田馬場だったから、赤羽はそう遠くない。

「こっちに独り暮らしすればいいのに」
文さんはたびたびそんな風に勧めてくれた。彼女自身ははまだ実家から立川に通っていて、1年間の社会人生活でそれなりにお金を貯めたけれど、まだ独り暮らしをする気はないと言った。

僕はなんとなく働き始めた。八王子の三崎町という繁華街地下にあるロック調のカフェバー。砂場に寝そべったり、スポーツカーに乗ってお酒を飲めるのが売りだった。まだ未成年だったから、基本的にはホールで注文を取ってまわるだけ。という約束だったけれど実際にはなかなか難しく、激務でふらふらになって朝方に帰り、午後から学校へ通う毎日を送るようになった。

学校帰りに不動産屋の張り紙を眺めてみる。勉強とバイト、バンドをつづけながら23区で暮らすのは遠い目標に感じた。何かのためになら頑張れそうな気もしたが、その「何か」には肝心の保証がない。

「赤羽じゃ近すぎるよね。女の子とデートしてる時に、急に会ったりしたら嫌でしょ?」
「そんな子いないですよ」

「東十条かあ、うーん。飲み屋ばっかりだよ。それに埼京線はおすすめしないな。痴漢だって多いんだから、冤罪で捕まっちゃうよ」
「痴漢って、やっぱりあったことあるんですか?」
「そりゃあね」

僕たちは作品づくりを離れて、ごく普通の男女がするような話が増えた。一方で文さんんの幸せを嫉妬したり、自分の孤独を不平等に思ったり、それまでになかった感情も芽生えていった。一緒に不動産屋へ付き合ってくれる彼女の心境は、いったいどんなものだったんだろう?
それでも、あてのない日々は美しい。都電荒川線の始めから終わりまで一緒に乗って、寄りかかって眠ったりして。もたれあい、人の字になって見た夢の中でだけ、僕たちは誰にも邪魔されずにいられたのだった。

 

最後までちゃんとした恋人にはなれなかった。もしも現実世界にそう呼べる時間があるとすれば、お互いが大人になった一瞬だけ。

僕の20歳の誕生日、彼女は初めて部屋にやってきてプレゼントをくれた。今年も、指輪。つががあったらまた指輪だろう。大小2つを斜めに掛け合わせたようなデザインで、裏側は鮮やかな青とオレンジに塗られていた。

「私のこと、好きなの?」
音のない部屋で文さんがボタンに手を掛ける。蛍光色の灯が月の明かりに換わられる。目の大きなチェックのシャツがはだけて、白い肌と下着が見えた。特に驚きはない。長いカウントダウンが、この日に向けて続いていたようだった。
「はい」と答えると、「敬語はもうやめて」と彼女が言った。

僕たちは初めて対等になった。出会ってから何もかももらってばかりだったから、決して小さな出来事ではない。だけど、そんな余韻を味わう間もなく彼女は僕の首に両手をまわし、初めてのキスをした。
本能的に彼女の背中に手を回す。だけどホックを外そうとした瞬間、彼女が素早く身をよじって顔をあげた。
「まだ、言わなくちゃいけないことがあるの」

 

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文さんの背中には、肩甲骨を右上から断ったような長い傷跡があった。目を凝らして、おそるおそる指でなぞると、想像よりも隆起しているのが分かる。

「嫌いになった?」とかすかに震えた声で問う。
「平気だよ。落ち着いて話せるときに話してくれれば」
僕は彼女の言葉ごと包むようにして抱き合った。目の前の性に飛びついたのと、面倒ごとを放り投げたかったのと、正直どちらもある。その行動が正解かどうかは分からない。どちらにしろ、将来悩みぬくことになったのは同じだっただろう。
 


ふたり天井を見上げ、告白が始まる。

文さんは赤羽駅から実家のマンションまで、荒川に沿って自転車で通っていた。20年間見続けたその景色には、信頼にも似た安心感があったのだろう。気が付けば、最終電車で家路につくことも当たり前になっていた。

ある日の深夜、家まで残り数百メートルの河川敷を走っていると、キャップをかぶった男が現れ、いきなり後輪を蹴られた。コンクリートの狭い舗道を外れ、文さんは雨上がりに濡れた芝生を自転車ごとすべり落ちた。そして、逃げるところを後ろから切り付けられた。助けを呼ぶどころか、事態を飲み込むこともできないまま、意識を失ってしまった。
気が付いたときにはすべてが終わっていた。すでに犯人は捕まっていて、高校のころの同級生とのこと。名前すらおぼろげだったし、在学中に言葉もほとんど交わしたことがない間柄だったという。そして犯人を取り押さえたのが、当時、彼女がつき合いはじめた彼、つまりのちの結婚相手だった。

終わっていた。文さんがベッドの上で語った事の顛末を、僕は深く掘り下げることなく胸にしまった。何が始まって、何が終わっていたのか。きれいごとも、濁った気持ちも。ごちゃまぜに頭をめぐった。目の前に傷をさらけだした彼女がいる。これ以上何かを語らせるのは、まだ僕に求められてはいないように感じた。

仕事を休み、失意に沈んでいるとき。彼は一番弱っているときにそばにいてくれた人だから、僕とは一緒になれないだろうと言った。だからせめて、お互いに20歳のあいだは恋人ごっこをしようと約束した。堅苦しい決まりごとはない。「さん」や「君」を外して呼び合うのがたったひとつのルール。彼女が1つ歳を取り、0が1に変わるまで。終わってどうなるのかは、終わってみないと分からない。



「もし一緒に住めたら、煙草をやめるよ」
「そんなの無理だよ」
そう言いながら、彼女は僕の鎖骨に何かを書いた。

「未来を区切りにした約束なんて、果たされるわけないじゃない。時計は壊れるかもしれないから、記念日も作らない。」
時計の針がすべてを知り尽くしたような音を立てる。変な言葉が、暗がりをさまよう。

「でもね、果たされない約束だから、君としたいと思ったんだよ」

見えない時計の中を、彼女と歩いていた。 

 

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「sentence」
 

形あるものはいつか壊れる
だから壊れてもいいものを造る
そうして、置き忘れたため息が
後ろのほうに投げ捨てられる 

 人はいつの時代も土を掘る

光あるものは影を作る
だけどそれは形じゃないから
人は刺激と名づけて
いつだってそばに置きたがる 

 自身が離れていくとしても

抱きしめて暮れる日
強く引き寄せすぎて壊れる日
後悔もあやふやなままに
いくつかの出来事が息を止める 

 さようならは仕方がないこと? 

光あるものは影を作る
影は集まって闇になる
すくうこととすくめることが
隣り合わせで孤独をつくる 

 闇の下なら汚れも消える 

すべてがOKと無責任を言えば
ビデオに取られ、形になり
言ったじゃないかと証拠になる
光あったものが影になる 

 じゃあ何をすればいい?

途方に暮れて息を吐き出す
揺れる波にまた引き寄せられて
たどり着く 絡み合う
大きな海で歌う少女があった

  彼女は、絶望を知らない?

 

たとえ無知だとしても
波を裂く大きな声は強く
広げたか細い腕さえ強く
迷えるものさえ誘っていく 

 じゃあ歌ってみるとしよう

気がつけば 大きな海などなく
波の音はこの胸から発されていた
憧れの中には光も影も
造られた味わいなど何もない 

 頼りないものだとしても 

無色透明の衝動に
彩るものなど何もない
彼女の存在が
一過性の偶像 だとしてもだ

 歌うと決めたのは僕なんだ 

 

僕が彼女にはなれないとしても
そんな証拠には形がないから
うずくまって下を向くより
叫べる分だけ 都合がよかった

  

―9月<味わい>の言葉―