眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

『道京』-10. 長い夢

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10. 長い夢/2000年10月~2001年3月→2004年2月


半年続いた恋人ごっこは、文さんにとって苦しい時間だったはずだ。だって恩人に背を向けて、僕と近づかなくてはいけないのだから。

彼女の精神は不安定になり、見たことのない一面を見せるようになる。夜中に泣きながら電話をかけてきたり。彼へうまく気持ちが向かない、なんて無遠慮な相談してくることもあった。僕に嫉妬心は生まれない。命の恩人であり、困ったときは数分で駆けつけてあげられる。たくましくもやさしいヒーローだ。感謝こそすれ、大事な人を奪う気にはなれない。

その代わりに芽生えたのが、やり場のない怒りと後悔だった。救ったのが自分なら。どんな安アパートでも、彼女の近くに暮らしていたら。考えれば考えるほど眠れなくなり、体力を使い切るために、夜中に何キロも走って回った。そして本格的な不眠症へ。胃は人工的な味を受け付けなくなり、豆腐や乾物、フルーツばかりを食べていたら、体脂肪率は5パーセントまで落ちた。

肌に触れると常にひりひりするような感覚がある。罪悪感や劣等感という言葉に至極ふさわしい痛みだ。

 

 

 

半年間の「契約」が残り1ヶ月をきったころ、偶然文さんの姿を見つけた。付き合いは長いが、意図せず会ったのはこの時が初めてだ。

僕が国分寺駅で中央線に乗り込むと、彼女は隣り合わせに発車を待つ西武線の車内にいた。こちら向きに座っていたのだけれど、僕は彼女の存在に気づくことなく、ずっとうつむいていた。さすがに叫んだり、窓を叩くわけにはいかない。

『目の前にいるよ』
僕は携帯電話でメールを打った。まだパカパカだった携帯からわざわざどこか遠くへ飛んで、すぐそこにいる彼女に届く。伝えるってことは、今も昔も面倒だ。

彼女は携帯電話を確かめると、顔をあげて自然に微笑む。僕は馬鹿みたいに大きく手を振る。彼女は周りから浮かないように、ちょこんと手を立てて振る。それは高校のころ、初めて会ったときの仕草そのものだった。
お互いに毎日通っている駅で、たいした偶然でもないのに、まるで運命の針が合致したように錯覚した。彼女に何の用があって、いつもと違う黄色い電車に乗っていたのかを、僕は知らない。そう、知らないから、いろいろ想像して崇めてしまう。

 

それでも終わりはあっけない。恋人最後の日は文さんの21歳の誕生日、の1日前で、場所は東京タワーだった。東京出身のひねくれ者同士、お互いに初めて展望台に登る。
ゆっくりと、何周か景色を見て回る。床がガラス張りになった場所では、決まって彼女が僕の身体を押した。終わることが分かっている一日は、僕たちを妙な遠慮から解き放っていた。

「ちゃんと食べなきゃダメだよ」と、帰り際に彼女が言う。
「うん」と僕は答える。はい、ではなく。

家に帰ったあと、5年間続けたホームページを閉鎖した。たまに言葉を注いでいたけど、もう必要のない場所だろう。
何気ない時間が過ぎ、東京のてっぺんで、恋人たちはまた同志になった。

 

***

 

それから2002年に『道京』の制作を始めるまでの2年間、僕たちは何事もなかったかのように日常報告をし合った。僕は何人かの女性と付き合ったし、文さんにも隠し立てすることなく話していた。

「嫁に出すようだ」と、冗談めかして言われたけれど、むしろ僕が手を離れることに安心した部分もあっただろう。

…なのに。

 

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カレンダーの共同制作。急に持ちかけられた相談だったけれど、断る理由はなかった。就職活動なんて後の後の後に回したって構わない。

いろんなことがあったから、純粋に捜索を楽しもうと思った。でも、東京中を歩き回って、どれだけの景色を共有しても、答えは見つからない。そして動かないと思っていた時計は、雪が見たいなんてリクエストで少しだけ動いた。いや、ずっと動いていたものが止まったのか。再び、共につくる日々で彼女は何かを知って、制限時間の終わりを告げたのだ。

 

思い当たる点がひとつだけあった。
あの雪の日、文さんは少しだけ目を覚ました。2時くらいだっただろうか。夢と現実の間くらいでスポーツ中継を眺める僕に、昔話を始めたのだ。初めて会ったとき、僕ががちがちに緊張していたこと。服が妙に派手な色でダサかったこと。機嫌の悪い犬のような顔に見えたこと。そして、好きな声だと思ったこと。

 

そして2000年。恋人の日々。
逃げた。彼女は僕のことを、そう表現した。

 

きっと、怒っていたのだろう。都会へ引っ越したり、煙草をやめることだけは勝手にあきらめておいて、恋人同士でいる期間だけは律義に守ったのだなら。僕は限りあるものを愛おしく思った。彼女は終わりのないものがあれと望んだ。

どちらも、時計の解釈としては正しい。0→1になることが、「始まり」と「巡り」のどちらかというだけだ。

2002年の冬の日。僕がカレンダーをつくろうといったとき、彼女の時計が少しだけ動いたのかもしれない。1年の間、つまらない写真を撮り続ける日々を捨てて、僕らはパートナーなんかじゃないと盛大なクラッカーを鳴らせたら。

 

 

そして2004年2月、僕はようやく、もうひとつの約束を果たすことにした。文さんの休みを見計らって店へ行き、裏手から作業場のドアをノックする。
「やっと来たね」と亨さんは言った。
それは不思議な包容力をもった声だった。子供のころ、デパートで迷子の案内所を見つけたときのような、妙な安心感があった。

「文から話を聞いたんだね」
作業場はいつものように音楽がない。沈黙の中で思考は迷子になり、つかみ取るのに時間がかかった。
「結婚の話ですよね。お店には、もう来てないんですか」
「みたいだね」亨さんは他人事のように答えた。
「いつでも来いと言ってあるよ。あいつは弟子だし、契約とかは形だけのことなんだ。でもまあ、文にとって、もう俺は必要じゃないんだよ」
一瞬、頭がブランクになる。逆じゃないのか。

「どういう意味ですか?」
「嫌な話になるかもしれないけど、いいかな?」
「はい」
「君は、あいつに特別な感情を持っていたんだろう?」
僕はもったいぶってうなずいた。きっとそれ以上だろうから。

「その中には、憧れみたいなのがあるはすだ。店に入って間もないころ、あいつも俺にも同じようなことを言ったよ。『あなたみたいになりたい』って。正直、一緒に働かないかと誘った事を後悔したくらい、邪魔な感情だと思った」

邪魔。日常的に用いられる中で、それはかなり残酷な部類に入る。亨さんは細い目にわずかな力を込めた。

「俺に褒められたいという気持ちがある限り、いい作品なんてできない。他人も、自分も、直感は常に変わり続けてしまう。俺より優れた作品をつくれたとして、遠慮して手を抜き続けるのか? 『自分らしさ』なんて簡単に言うが、自分にふさわしいものを選べる人は少数だ。それっぽい目標として、近しい人を選ぶのは失礼なことだよ」

分かるような、分からないような話だった。高僧のように静かで、入り組んでいて形がない。どこか懐かしかった。

「僕は彼女にとってどんな存在ですか?」
僕は端的に結論を迫った。

「君も言葉で何かを作るなら、俺がここでなんと言おうと、その頼りなさをわかっているはずだ。それでもあえて言葉にするなら‥‥忘れてはいけない存在、なんだろうね」

 

 

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「retake」

 

 君は自分の名前について
聞いたことがあるだろうか
その形は
どんな思いがこめられたもの
そして響きは 

ねえ、
誰がつけたの?

だぼついたパジャマ姿で
僕も聞いてみたものだよ

 

それはね――

 

いくつかの理由を教えてくれたけど
名前を呼ぶ
言い含めるような優しい声は
それだけで、答えだったよ

  

答えなんて要らないな
簡単に言うけど
感じることは難しい

 

揺れる影
揺れる頭
ただ歩いていく

 

 

補助つきの自転車より早く
お気に入りの靴より早く
そこにあって
一緒に歩いてきたもの
いつしか気付いた、僕は
振り回してばかりだったな
カキン
打球の行く先を追う

 

「走れ!」
夢中で駆け抜ければ
見つけられそうな気がするんだ
非力にものを言わせてホームラン
拍子に外れた胸のボタン
流れる景色で文字を追う

昂ぶる日々
転ぶ君
立ち上がってゆけ

 

使えない
出来損ない
まるで爪を噛むような気軽さで
誰かが僕にいうから
いつしか
刃向かうのも
起き上がるのも面倒で
分からんと音を上げて
カラン、と音を立て
ついにバットを手放した


 

――君、

 

病を患って
言葉を作るのが難しい
母がおぼろげな響きで呼ぶ
僕の名前は
呼吸を覚える前から
用意してくれたものだと気づいたんだ 

 

名前を呼ぶ
目の前叫ぶ
大きくなったな 

 

 

ハンカチを握って眠る子がいて
夜中に起きてしまう子がいて
僕はと言えば
カレンダーを指でなぞって
朝まで眠る子供だった

やっていることは
これっぽちも変わっちゃいない  

すべてが大人になって
ほとんどが大人しくなって
子どものころのような
動きやすい服を脱ぎ捨てる

何かを置いていく人
ただ老いていく人

それは、それぞれ

 

 

人は人を見ていて
人に育てられていく
ふと、ピアノに座ると
透明な文字が浮かんだ

「届け!」
名前を失くしかけた
誰かに捧ぐリテイク 


手縫いのゼッケン
脇見をしながら全力で運ぶ

 

 


やっぱり、かっこいいところをあなたに見せたい

 

 

 

人は人を見つめていて
そして誰かを呼び続ける
笑う僕
笑う人
誰かに似て行く 

 

ただ見るだけ
鏡になる
こぼす人

 

拾う人

 

 

確かに似て行く

 

 

―10月<揺れ>の言葉―