眠ノ記

寝言と黒歴史を丁寧に磨いてお出しします

『道京』-12. 風に吹かれて(終)

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12. 風に吹かれて/2004年4月〜

卒業後、僕はしばらく亨さんの店で働き、社会勉強を積んだ。もちろん職人としてではなく、雑務全般という感じだ。形の上では営業となっていたけれど、店には亨さんの評判を聞きつけて引き合いが絶えなかったし、トラブルがあっても、彼が「じゃあ僕おります」といえばだいたいクライアントが青ざめた。
淡々と仕入れをして、お金を数えて。たまーに広報の文章を書くくらい。いつも楽しそうに話していた文さんを思い出したら、「商品」の魅力をプレゼンすることは難しいことではなかった。

亨さんは作品づくりに没頭しているかと思えばぷらっと出掛けていき、ふと思いついたように仕入れ指示を飛ばす。僕は言われたとおりに、聞いたこともない素材を仕入れる。デザインは何百通りでも思いつく。ようは自分の欲求が、その中から正しい情報を掴み取れるかだと彼は言った。できるまでやる。職人はそういう宿命なのだろう。

 

 

 

 「全ては繋がっている」
それが一番の口癖だった。

芸術は形がないから、油断すれば言葉に縛られてしまう。クリエイター。アーティスト。アマチュア、プロフェッショナル。どんな美辞麗句で飾っても根底にあるものはすべて等しく、底にあるのは純粋な熱量だったりするものだ。修業なんて表現も実はナンセンスで、みんな等しく動かされて、気に入れば引き継いでいくだけなのだけだろう。

僕が店を辞めたのは不満があったわけからではなく、無性にものを書きたい、そんな風に思う日が増えたからだった。まあ、仕上げはだいぶ時間がかかってしまったのだけれど‥‥原型になる文章は、亨さんの店を退職して数か月で一気に書いたものだ。

長い文章は書いたことがなかったから、とにかく苦労した。ものすごく下手なんじゃないか。どこがおもしろいんだろう。誰に見せるでもないのにそんなことばかりを考えて、考え抜いて、よそ行きの発想が尽きたあとになって、やっと少し突破口が開いた。もちろん上手くはないけれど、伝えたいことは言いすぎない程度にまとまったと思う。

文さんに渡した詩集には詩を50個くらい書いた。彼女と過ごした日曜日がそれくらいあったからだ。ただ、今書いているような長文と併用するには、さすがにそれじゃ多すぎる。

だから、2003年の日々ではなく、2002年のカレンダーをモデルに詩を書こうと思い立った。それなら12個でちょうどいいくらいになるだろう。

 

ところが、あらためて眺めてみるその言葉たちはあまりにも好みではなかった。

 

***

『息づく珈琲と煙草の吐息が、願うように交差する幸せの1月』
『手のひらの幸せに不安でも、本を枕に眠る温もりの2月』
『肩で上下する温もりに、手を添えて眺める歩みの3月』
『白む息、止める歩みの中で本物だとほくそ笑むの4月』
『称えられる理由などと思おう。脚色を跳ね返す瞬きの5月』
『叩きつける瞬きに瞳をつぶり、出会いの価値を知る潤いの6月』
『もてあます潤いを誰かの喜びに。胸高鳴る望みの7月』
望み叶い、同時に尽きること。同化して溶けていく暮れの8月』
『ため息が線路沿いを賑わす暮れに、吸い込む光を味わう9月』
『舌先ではじける味わいと、消えていく髪の色。揺れる10月』
『こぼれる灯りに心が揺れて、大樹に寄りかかる移ろいの11月』
『決めること。それがひとつの移ろいでも、前を向く願いの12月』 

***

うーん。優等生すぎるというか、何がわかるんだと感じ。いかにも短時間で考えました、ありあわせの食材でつくりましたという、路上詩人みたいなクオリティだ。
でも、即興の言葉にも意味がある。だから僕は、この12の短文ならではの雰囲気を大事に引き継ごうと思った。各章の末尾に載せた12の詩がそれで、2002年のときと同じように、キーワードの仕掛けが入っている。よかったらあらためて見てみてほしい。

誰のためでもない詩を書きながら、昔のことを思い返す。記憶の輪郭がはっきりしない部分は、十代のころに頼まれて書いた作品を見ながら補完していった。夜中に作業をしていると、時間というものが不思議に思える瞬間があった。もしかしたら何も変わっていなくて、これから先も変わらないんじゃないかって。

文さんとはもう連絡を取り合うことはない。京都へ行ってしまって数年は少しだけメールのやりとりをしたけれど、それが映画でいえばクレジットに過ぎないことを、お互いに理解していたからだ。

最後の方のメールに添付されてきた写真には、どこかで見たようなあどけない笑顔の女の子。ませたポーズがさまになっていた。やっぱり、時間は確かに経っているようだ。お母さんをヒロインにした物語が東京の片隅で完成することなど、彼女はずっと知らないだろう。

 

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写真は時の流れに一時停止を促すものではない。それは撮り続け、撮られ続けるからこそ分かることだ。

文さんに抱く感情にはいろんなものがあった。憧れ、尊敬、親しみ。色々な言い方があてはまる。それを形作ったのは、2つの事実が大きかった。
ひとつめは、彼女は初めて会ったときから僕のことを「君」と呼んだこと。本の中でしか聴いたことのなかったその響きは、不思議なほど自然に心に収まった。仕事場以外で使われるその二人称は、いつだって特別な感じがする。僕は詩の中でしか彼女をそう呼ぶことができなかった。要するに勝負は始めからついていたのだ。
もうひとつは母親の存在。後にも先にも、文さんほど母に気に入られた存在はいない。病気になってからは人に会いたがらなかったし、ひどいときには、紹介した瞬間から2度と目を合わせなくなったこともあった。

あやちゃん。その名前は言語に障害があっても発音しやすいようで、彼女が家に来るたび嬉しそうに呼びかけた。母は昔、編み物の先生をしていたことがあったので、身振り手振りで楽しそうに教えていたのを覚えている。時には、ふたりの間で僕にもわからないような意思の疎通があったように思う。

 

文さんは幼い季節に感じた憧憬を思い出させるような人だった。僕は一人っ子だから分からないけれど、姉という存在に通じるものもあったかもしれない。弟みたいだとよく言われたから、頑なに認めようとはしなかったけれど。
一緒に創作をして、突然のトラブルに襲われて、関係は年齢とともに変質していった。19から20になり、20歳からまた同じように歳を取り。1999が2003になり、世紀や年号をまたいでもその差は縮まらず、日々は汗ひとつ書かず淡々と進んでいく。

 

あなたの手元にカレンダーはいくつあるだろう。手帳をもたない僕には、いつも部屋にひとつだけだ。忘れたくないから残して置こう。そんな写真は、なかなかカレンダーからは生まれない。

 

「忘れたい」

「忘れよう」

「忘れない」

「忘れられない」

「忘れてはいけない」

 

人は特別な1日に対して、それぞれの感想を抱いている。
勝手に決めた日付の中を、それぞれに生きていく。
形のない区切りや記念。東京に抱く特別な気持ち。
好きの定義もわからないのに、いつか好きと決めたから。
勝手に追いかけ続けたからこそ、
待っていてくれるものがある。

分かるような、分からないような話。それでいい。
これはカレンダーだから、
意味もない代わりに終わりもない。

言葉にかえていくのが、僕のアイデンティティ

 

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 「ミヤコミチ」

 

ぬかるんだ小道を抜けて
見上げた小さな公園の夜空
トランクを開けて
お菓子の袋を広げて
ギターを弾いた、ふりをした
地面は動いていない
ように思えるけど
誰かに言わせれば
回っているらしいよね 

 

誰かにとって
当然に思えることを
疑ってみた試み
そう言葉にして切り取って
ゆるやかなレールに乗って
空を飛びたかった、だけなんだ
 

分かってくれ!
僕は叫んだ
君は考えすぎだ、と
考えすぎた結論をぶつけた

一緒に歩いた
東京の道は移ろいやすくて 

何かを決めるには
複雑に入り組んで出来ていた 

 

いくつもの年が移ろって
僕は何を失い
得てきたのかは分からない
だけど少しはきっと
身軽になることができたんだ
肩から腰にかけて
まだぶらさげってる宝もの
その正体は
君も好きだと言ってくれた
素敵な青いノート 

 

目配せをする分かれ道
それぞれの路地
どこに抜けて、それぞれがどこへ着く
とりあえずとってみるポーズ
僕はこの場所を信じているよ 

 

頭の中に
白い雲が浮かぶとき
厚い雨雲が
決まって、重なって飛んでいる
それは決まりごとだから
なかなか変えられるものでもない
複雑に入り組んだ
路地の名前はミヤコミチ
どこかで見たような
少年と少女が遊んでいる
そんな景色 飛ばすように
やみくもに手を動かしたら
ほんの一瞬
ここにいるんだと感じたんだ
 

うなだれて
雲がふっと分かれるとき
僕は何かを願った
僕らはあんまり変われない
だけどこの形 信じられるなら
僕にとってそれが
ひとつの幸せの形

やみくもに差す光
視線が厚い空を射抜く
少し泥のついた手で
いま、まぶしさの先を追いかけて 

 

もしも手違いで
失望の柄を手にしても
それはくまのぬいぐるみが
パンダだった、くらいのこと
僕らはあんまり変われない
道すがら雨と陽を受けながら
固くなったり 時にやわらぐ

そう
ファインダーは常に 空を追ってる

 

―12月<願い>の言葉―