眠ノ記

真面目にふざける雑記ブログ。黒歴史や趣味の話とか。

僕がニートになった理由(二部作/前編)

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僕は20代後半で長期ニート生活に入り、そのまま30の壁を越えた。
健康体にもかかわらず、大事なキャリア形成機に何もしなかったのは、我ながら頭がおかしかったと思っている。

では、なぜそんなことをしでかしたのか?

シャバに出て数年経ったいま、冷静に振り返ってみたい。

 



ニート化する前、僕は2つの会社に勤めた。
いずれも営業職だ。


1社目は昭和的な家族経営の会社。僕は営業職での採用だった。
大声を張りあげる研修、歓迎会では一発芸を強制、新人はエレベーター使っちゃいけない…とか古い体質は残っていたが、ブラックとまではいかないだろう。
(とはいえ色々面白いのでいつか記事にする予定)

どちらかといえば、学生気分の抜けない僕の方に問題があった。
遅刻して、仕事中にマンガ喫茶に行って、先輩に噛みついて。
「こっちだってこの仕事に興味があるわけじゃねーよ」
そんな顔をして辞めた。

無視された(参考:人生で3回、集団無視された)くらいはあったものの、それは辞意を告げてからの話だから。


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問題は2社目だ。
「やつあたり骨折、痛杉内俊哉 」いう記事でも書いた通り、なかなか問題のある会社だった。

夜は毎日のように会合があり、家に帰るのは決まって日を回ってから。昼食は移動中に歩きながら食べていた。スケジュールは分刻みで管理されていたので、以前のようにサボる余裕はない。

気づけば僕の怠けた体質は改善していたが、それは健全な理由ではなく、恐怖によるものだった。

暴力と、些細なミスでも数時間にわたる説教。怒られると業務時間が足りなくなり、業務時間が足りなくなるとミスが起きる。状況はまさに負のスパイラルに入っていた。

ただ、それだけでは退職の理由にならない。そのころの僕はむしろ洗脳されていて、辞めるという発想すらない状態にあった。小さな世界で形の見えない理不尽さにとらわれ、ガス中毒のような症状に陥っていた。

 


そして決定的な転機が起こった。母が脳出血で倒れたのだ。
しばらくは予断を許ない状態で、気の休まる時間はプライベートにもなくなった。

心に立ち込めるガスはさらに膨らむ。
最後の引き金をひき、爆発させたのは上司の一言だった。僕は連日の寝不足から、取引先で居眠りをする失態を犯していて、上司としてはいつものように軽く詰めるつもりだったのだろう。


「人前で眠らない方法、母ちゃんに教えてもらえよ」

瞬間、ICUで喉にチューブを差し込んだ母の顔が浮かんだ。もちろん上司は母の病気について知っている。

瞬間、僕は洗脳状態から完全に目覚めた。
と同時に心が死んだ。
仕事って、こうまでしてやらなきゃいけないものなのか?

「脳みそ使えよ」「ほんと何もできないな」「大卒の失敗例」「いつ辞めんの」…いままで僕個人宛に向けられたどの中傷とも異質だった。


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…と若干陰鬱な話になったものの、この体験が僕のニート体験の核にある。
もっともきっかけがどうあれ、ニート化したのはもっといろんな原因があるだろう。

・内向的でプライドが高い性格
・仕事に取り組むモチベーションの低さ
・親が裕福

など。ニートについて議論するとき、よく指摘されるような条件(問題点)は揃っていたのだと思う。世間にはニートになることすら許されない人も多く、何もしないのが苦しいなんて感覚は信じられない人がほとんどだろう。



僕の父もそうだった。

「仕事はなんでも辛いもの、とにかく働け」
「お前には人と接する仕事は到底無理だろう」
「育て方を間違えたよ」

真っすぐな言葉は、僕の社会復帰への道のりをどんどん遠ざけてしまった。もちろん、堕落した日々を送る僕に生活費を援助し続けてくれた父には、感謝してもしきれない。望むような言葉がなくても、深い愛情をくみ取らなければならないはずだ。

でも、
せめて一度でも、「大変だったな」と言ってくれたなら。
社会への不信をこじらせた僕は、そんなことを考えていた。

そして母の看病を大義名分に鍵の開いた牢獄へ閉じこもり、ニート生活を長期化させていくのだった。


TVなど主要メディアで交わされるニート論は何もかも共感できる。

ニートがいかに無益か。
親子のコミュニケーションの難しさ。
仕事こそ人生のやり甲斐になること。
本当はみんな、「甘えだろ」って切り捨てたがっていること。
それでも、ニートを選ぶ人の気持ち。

ニートの言い分以外はすべて「正論」と呼ばれるものだ。
だからこそ、この問題は難しい。

 

スポーツでもなんでもそう。すべてはタイミングだ。
大して力を入れていなくても、ちょっとしたきっかけと当たり所で、人の心くらい簡単に殺すことができる。僕は社会の外へ、見事な場外ホームランを打たれたのだ。

僕はあの上司をそれなりに信頼していた。口は悪いけど、決して一線は超えない人だと思っていた。
なのに。裏切られた反動もあった。

 

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かくして僕はニートという不名誉な肩書を、キャリアに刻んだ。
それはまるで刺青のようなもの。「みんなやってるよ」となぐさめられても、「よく立ち直ったね」と褒められても、マトモな大人たちから疎まれることは、マトモになれなかった自分が良く分かっている。

僕は面接で嘘をつく。日本社会において、過去の会社のマイナスを語るのはタブーだとされ、ハラスメントがあったなんてことは隠し通さなければならないのだ。

退職理由を聞かれたら、自分でもよく分からないつくり話をでっちあげ、面接官に首を傾げられるしかない。受かる受からないより、自分を押し殺す作業がなかなか厄介だ。

 

その後なんとか社会復帰した僕だけれど、現在進行形のニートに適切なアドバイスができるかはわからない。ただ、もし過去の自分にアドバイスを贈るなら、仕事にたとえ興味がなくても会社はよく選べよ、と言うだろう。

特に2社目は社長が元反社を公言していたし、すぐに辞める道もあったはずなのだ。ガラにもなく逃げるのはかっこ悪いと気を張るから、あんなことになったのかもしれない。

病は気から。体力的にきつい会社は本当に危ない。自分は大丈夫と思っているみなさんも、どうかご注意を。

 


***
今回は「自分のいま」につながる生々しい話をしてみた。
底辺から這い上がる話についてはまた次回ということで、予告編程度の話にとどめたいと思う。


ニート生活脱却の第一歩は、ニートの更生を謡う企業・団体に片っ端からメールをすることだった。彼らなら、ニートという存在に引くことはないだろうと思ったからだ。それは自虐モンスターと化していた僕にとって、重要なポイントだった。

自分なら弱い人の気持ちがわかる。
社会の役に立ちたい。
メールには、団体のHPにある美辞麗句に追従するような言葉を並べた。



結果は…返信ゼロ。


人は理念だけの人間を救わない。
金があるか、役に立つか。それがなければ、赤の他人に手を指しのべたりはしないのだ。
ただ、0を1にするこの一歩が大きかった。僕の仕事観が、少し変わりはじめたのだ。