眠ノ記

ーネムノキー

キラキラネームパラダイム

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キラキラネームが嫌いだった。
親のエゴで読めない字を子供に授けるのは、本人に一生の説明責任を負わせ、他人様に迷惑をかけること。そんな感覚がぬぐえなかったからだ。まあ、一時の流行だろうとタカをくくっていた。

ところがその勢いは止まることを知らない。もはや、ちょっとやそっとの当て字じゃ誰も驚かない時代だ。

さすがに、ここまで浸透した文化を全否定するのは老害だ。そう思った僕は、自分の考えをあらためるように努力をはじめた。
「この子ね、〇〇っていうのよ」
そう聞かされて「うげっ、変な名前」と思っても、モグラたたきのように違和感を胸に押し込めて生きている。

 

 


時代が可読性の放棄を受け入れたとはいえ、やっぱり子供は大変だろうな、とは思う。

 

僕の本名はやや中性的でさらっとした一文字だ。シュウとか、ケイとかそんな感じ。
読み間違えられたこともないし、説明も楽。字はさりげなく凝っていてオリジナリティもあるし、親にもらったものの中でも上位に好きなもののひとつだ。響きと字面で押すキラキラネームの魅力とは、ある意味対極にある名前といえる。

だからこそ身分証明の機会などで、名前の説明に手間取っている人を見ると、余計に大変そうに見えてしまう。


想像する。
もし、自分の名前が「春の夢」と書いてハムだったら。

大仰な字面、
読みの難解さ、
音のおかしさ、
待ち受けるアダ名地獄。
たぶん、外国人からもいじられるだろう。

想像を絶するくらいの苦難が待っているに違いない。

 

たとえば初デート。
「ハム‥」なんてつぶやかれたら、こいつ腹減ってんのかと思うだろう。

迎えた夜。
「ああ〜ハム〜 」なんて叫ばれてごらん?

どんだけ肉食やねんと頭をはたきたくなるだろう。

とどめに葬儀場で、「これからハムを焼きます」と言われた日には。
いっそ紙皿片手にトングで骨を取り分けて欲しいと思うはずだ。

 

というわけで、キラキラネームを気にしないように心掛けてはいるものの、ちゃんと読める名前をつけるご家庭に信頼を置いてしまうのが正直なところだ。

 

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とはいえシンプル&ミニマルな名前にもデメリットがある。
アダ名にするには生々しいというか、持ち主のキャラクターを選ぶのだ。


僕は決して万人にとっつきやすい人間ではない。それに苗字の方が硬めなので、だいたいが苗字をもじったあだ名をつけられてきた。

わかりやすいように、僕の名前を仮に名倉ジュンとすると、
中学時代は「名倉氏〜」と呼ばれていたし、
高校時代は「ナグ」と呼ばれていたし、
大学時代は「ナグP」と呼ばれていた。

ジュンちゃん、と言うのは少しプライベート感が過ぎるのだ。少しかわいい感じのキャラか、友達がホリケンじゃないとなかなかそうは呼ばれない。

おかげさまで、女子で名前を呼び捨てにしてきた人は、母を除けば人生で2人しかいない。1人はつき合って10日くらいでふってきたワセ女。もう一人は薬物に溺れて失踪したバンド仲間だ。昔はテンションが上がったが、縁起も悪いし、もう名前で呼ばれるのは正直いいかな、と思っている。

 

ちなみに嫁は僕の名前を呼んだことがない。君付けですら、ない。

共通の友達と会った時に
「ジュンくん元気?ってきかれたよー」
とか言ったりはするけど、直接呼んでくることはない。

友達時代に、ナグちゃんとかナグPとかはあるんだけどね。

 

理由としては、
僕の名前に「子」をつけたのが嫁の名前
という事実が関係しているかもしれない。

「ジュン君」と口にした瞬間、私もジュンじゃないか‥と気恥ずかしくなるのだろう、たぶん。

 

嫁の実家に行った時なんか、
台所から「ジュンちゃんミカン持って行きなさい」と聞こえたので、
僕は大声で「ありがとうございます!」と叫んだことがある。
名前がほぼ同じ、というのはなかなか厄介な問題だ。

名字まで一緒になったいま、病院では2人一緒に立ち上がりそうになることすらある。

 

個人情報だなんだと名前をひた隠すことが求められている時代に、当の名前は自己主張をますます強めている。

なかなかあべこべな世の中だと思う。

やっぱりハム太郎が最強かもしれない。