眠ノ記

ーネムノキー

無宗教≒無修正

僕はほぼ無宗教です。厳密には先祖代々つづく仏教徒ということになりますが、各種の行事に、生活の制限や、心から沸き立つような使命感があるわけじゃありません。

こういうのってわざわざ公表する機会もなかなかないので、だからこそブログらしいなと思って、書いてみることにしました。素人の所感なので、造詣が深い方は軽く流しておいてください。

 

 

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タイトルにもあるように、僕は宗教を「世界にぼかしをかけること」と考えています。戦後の文書検閲くらい厳しかったり、AVみたいに形だけ規制したり、宗教によってぼかしの種類は変わってきますが。

世界の各所に蓋をして、誰かが決めたルールにのっとって生きていく、ということ。
すると何が起こるのか。

・真実が多様化する
たとえばそこに人間の遺体がむき出しで置いてあれば、確実に死を意味します。でも、モザイクをかければ「生きているかもしれない」「人間ではないかもしれない」と発想が広がる。

・選択を楽にする
1万冊ある本の中から好きなの選べって言われたら苦しいけど、宗教上、10冊しか読めないとなったら楽じゃないですか。自分が何をすべきか決めきれない人は世の中にたくさんいますし、そういう人にとってはありがたい作用なんじゃないかと思います。

僕の考える宗教のメリットは大きくこの2つかな。前者は「救いを与え」、後者は「迷いを取り去る」とかそういう風に言語化されてますね。

 

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宗教にそれほど嫌なイメージはありません。人生で勧誘をうけたのも数回、それもわりと爽やかな感じだったので。それでも海外に目を向ければ、未だ止まない宗教戦争にやっぱり根源的な怖さは感じますね。

何かを守るってすごくパワーを生むものですから、文字で、行動で、時には経済的援助で、生活を捧げて何十年も支援しつづけたものを傷つけようとする勢力がいたら、攻撃したい気持ちが生まれるのも当然でしょう。それにもともとカタチがないものだから、言った言わないの争いになったら落としどころも見つからない。

日本でこれに近しい論争があるとすれば憲法第9条でしょうか。Twitterなどを見る限り、文言が1文字でも変わったら戦車が動き出す、くらいに強迫観念を抱いている人はたくさんいるんじゃないでしょうか。

翻訳文だし、発案者すらはっきりわかっていないのに…。あの短文でこれだけ人の心を掴むんだから、もしかしたら神様なのかもしれません。

 

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それでも僕は宗教を否定しません。
物に愛着を抱く気持ちって、きっかけはあるにしろ、確かな根拠も保証もないもの。だからこそ挫折や裏切りに出会ったとき、割り切れないことだってたくさんあるのです。

たとえば最愛の奥さんを失ったら、ちょっとした空き時間、言い換えれば自由がとても辛くなるはず。だから、10時には集会に行って→15時まで本を読んで→〇〇日までにお金を振り込んで…みたいにルールを決められるとありがたいのでしょう。

僕も、今後絶対に宗教には入らないとは断言できなません。「神様に会いたい!」とは言わないでしょうけど。

あとは、もっと打算的に宗教を利用している方も多いようで。特に芸術家は、「コンサートを開くときも誘いやすいし、一定数の集客が保証されるから」と言う理由で互助会的に宗教に入る方も少なくないとか。普通の友達より、仲間のために行動しようという精神的なつながりが大きい分頼りやすいんでしょう。

日本だと宗教=新興宗教の印象が強いのでだいぶ特殊ですけどね。「こいつ宗教のおかげで集中力ついてどでかいこと成し遂げたな!」みたいなサンプルが周りにいたら、もっと身近でポジティブな存在だったはず。

 

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最後に、どんな人が宗教に入りやすいんだろうという話。
迷い・不安・喪失感を入信のキーワードとすると、「ニートよりは仕事していた方が楽」とか、「服選びが面倒だからスーツの方が楽」みたいに言う人の方が近いのかなあ、と言う印象がありますね。

つながりたいというか。しばられたい、というか。

僕はニート生活が苦じゃないし、私服が落ち着く。つまりは自由が好きなので、いまのところ宗教と縁遠い人生を送ってきたわけです。…まあ日本全体が気づかいと世間体の宗教みたいなものなので、生きづらいっちゃ生きづらいんですけど。

しばらくはむき出しで、ブラブラ歩いてみようと思いますよ。